オジー・オズボーンの訃報を知り、胸がぎゅっと締めつけられました。
あの唯一無二の声、そしてどこか人懐っこいキャラクター。
ロック界の帝王でありながら、どこか私たちに近い存在にも感じられるオジー。
私にとってオジーは、ただのロックスターではありません。
彼を通して、バンドのメンバーにも自然と目が向くようになりました。
それは、彼のメンバー選びのセンスが本当に素晴らしかったからです。
後にも先にも、私が初めて生で見たオジー・オズボーンは1991年、日本武道館の来日公演。
「オジー最後の公演」とも言われていたあの夜の熱気、武道館全体が揺れるような興奮、そしてライブが終わったあとの余韻──。
今日は、今だからこそ残しておきたい、あの夜の思い出を綴ります。
“Theatre of Madness Tour”来日公演の背景

パンフ内のスケジュール記載ページから
1991年に開催された“Theatre of Madness Tour”は、オジー・オズボーンのアルバム『No More Tears』を引っ提げての世界ツアーの一環でした。
日本公演は10月末から11月初旬にかけて行われ、東京・日本武道館をはじめ横浜・名古屋・大阪など、全国数カ所をまわる日程でした。
当時のバンドメンバーは、ギターにザック・ワイルド、ベースはマイク・アイネズ、ドラムにランディ・カスティロという鉄壁の布陣。
最新アルバムのタイトル曲“No More Tears”や、定番の“Crazy Train”“Bark at the Moon”など、まさにキャリアの集大成ともいえるセットリストが組まれていました。
初めての生オジー、そして初めての日本武道館
この来日公演のために、私は地方から東京へ上京しました。
当時はライブを見に行くこと自体が特別なことで、しかもその相手がオジー・オズボーン。
チケットを手にした瞬間から、胸の高鳴りはおさまりませんでした。
初めて目にした日本武道館は、テレビや雑誌で見る以上に荘厳で、入り口に掲げられた“武道館”の看板を見た瞬間、「本当に、オジーがこの場所に来るんだ」と実感が込み上げ、言葉にできない感動が押し寄せました。
会場の周りにはすでにたくさんのファンが集まり、パンフレットやグッズを手にした人たちの笑顔と熱気に、「同じ想いの仲間がこんなにいるんだ」と胸がさらに高鳴りました。
会場がひとつになった瞬間の“暗転”

1991年10月31日 日本武道館公演のチケット
私の席は、なんとアリーナ最前列。
ステージ向かって右手側で、ギターのザックがよく見える位置でした。
ステージは思ったよりも高く、少しドラムのランディとベースのマイクは見えづらかった記憶があります。
それでも、ステージはすぐ目の前。後ろを振り返ると、2階席まで埋め尽くされた観客が、息を詰めるようにその瞬間を待ち構えていました。
とくに印象的だったのは、2階席最前列にいた二人の男性。
身を乗り出し、BGMに合わせて長い髪を揺らしながらヘッドバンギングをして、オジーの登場を今か今かと待つその姿は、今でも鮮明に覚えています。
そして、場内の照明が一気に落ち、暗転。
次の瞬間、武道館全体が割れんばかりの大歓声に包まれました。
オジーとバンドメンバーが姿を現したあの衝撃と興奮は、今でもはっきりと思い出せます。
武道館が揺れた“あの声”
一瞬で、観客全員が立ち上がりました。
それはまるで、椅子から体が発射されたかのような光景でした。
“立ち上がった”というよりも、椅子そのものが体を押し上げたような感覚──それほどまでに、場内の熱気と期待が爆発した瞬間でした。
ライトが激しく点滅するたびに、オジーの姿が浮かび上がる。
そしてザック・ワイルドのギターが生で響いたとき、全身が震えるような感動が走りました。
「これが本物のロックなんだ!」その場で、体の奥から自然に確信が湧き上がりました。
激しく動き回るザックとは対照的に、オジーはオジーのペースでステージを歩き、ときにザックの金髪をおどけるようにつかんだりしながら、客席を盛り上げる。
そのひとつひとつの所作が、まさにオジー・オズボーンらしくて、「これがオジー・オズボーンだ。そしてこれがオジー・オズボーン・バンドなんだ」と、妙に納得したのを覚えています。
私の人生で初めての“生オジー”は、日本武道館の最前列という特等席から見た夢のような景色でした。
目の前で繰り広げられる本物のロックのエネルギーを、ひとつひとつの瞬間を決して忘れないように、必死に心に焼き付けていました。
あのときの空気、音の振動、観客の熱気、そして自分の胸の鼓動。
それらすべてがひとつになって、今でも鮮明に蘇ります。
あの夜を体験できたことは、私の音楽人生の中でかけがえのない宝物です。
そして、あのとき感じた感動は、今もなお私の中で生き続けています。
もうあの声を生で聴くことはできなくても、オジーの音楽は永遠に鳴り続ける──そう信じています
今も手元に残る“宝物”

当時購入したパンフレット。ツアータイトルは『Theatre Of Madness』
当時のパンフレットには、音楽評論家・伊藤政則さんによるメッセージが綴られていました。
そこには、伝説のヘヴィメタル・シンガー、オジー・オズボーンの「最後のツアー」となる日本滞在の背景が語られています。
オジー本人は「引退はミュージシャン生活の終わりではなく、“オジー・オズボーン”というキャラクターの終焉」と話し、過去のトラブルやイメージの負担から解放され、新たな方向性を見出そうとしていることが伝わってきました。
彼の音楽人生は、栄光と苦難が入り混じるものであり、BLACK SABBATH時代からのヘヴィメタルへの深い忠誠心、ドラッグ・アルコール問題、そしてバンドメンバーの悲劇など波乱に満ちていました。
外部からの偏見や誤解に苦しみながらも、多くのファンに愛され続けたオジーの姿が浮かび上がります。
パンフレットは、彼の最後の日本公演が感謝と別れの特別な瞬間であることを静かに伝えていました。(引用「1991年のオジー・オズボーン日本公演パンフ 伊藤政則氏によるメッセージより」)
ライブが終わり、会場を出たあとのことは、もうはっきりとは覚えていません。
ただ、ライブの余韻と、終わってしまった寂しさを噛みしめながら、岐路についたように思います。今思えば、まるで夢だったような感覚さえあります。でも、パンフレットもチケットも残っている。あの日、確かに私は武道館にいて、オジーの声と姿をこの目で見たのだと、改めて実感します。
大切に抱えて帰ったパンフレットとチケットは、今も宝物として手元に残っています。
オジーが亡くなったと知り、久しぶりにそのパンフレットを開きました。
ページをめくるたびに、あの夜の景色や熱気、そして胸の高鳴りが少しずつ鮮やかに蘇ります。
薄れていた記憶が、だんだんと輪郭を取り戻すように、あの夜の光景がよみがえってくるのです。
その後のオジーと日本
あの1991年のツアーから長い年月が経ち、オジーは2015年にフェス形式の「Ozzfest Japan」で再び日本の地を踏みました。
けれど私にとっては、あの武道館公演こそが唯一の“生オジー体験”であり、今でもかけがえのない一夜です。
ありがとう、オジー
オジーが年齢を重ね、少し不自由そうな体の様子を見かけることはありました。
それでも、なぜか「オジーはずっと居なくならない」ような感覚をどこかで持っていました。
だから、この訃報を知ったときはショックと同時に、思わず驚きが込み上げてきました。
もうあの歌声を聴くことはできないのかな…。
あのユニークな姿や行動をもう見ることはできないのかな…。
そう思うと、寂しさが胸の奥からじわりとわいてきます。
でも、オジー・オズボーンがくれた音楽と、1991年武道館のあの夜の思い出は、これからもずっと心の中で生き続けます。
ありがとう、オジー。
あなたの魂は、これからも私たちの中で鳴り響き続けます。
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